昭和学院中学校・高等学校 榎本 裕介
シロイヌナズナ変異体を用いた栄養吸収と花芽形成に関する遺伝学研究
Arabidopsis Thaliana
第60回下中科学研究助成金取得者研究発表より
CaD428変異体は短日条件(明期8時間・暗期16時間)で生育させると、葉柄が野生型より伸長する表現型を示すことが花芽形成研究の途中で見つかった。葉柄の伸長は避陰反応と呼ばれ、本来は葉が陰に入った際に日光を求めて伸長する現象である。この変異体ではその反応が過剰に起こっており、何らかの光応答のステップに異常があると考えられる。
1. 背景
1.1. シロイヌナズナの遺伝学的研究
シロイヌナズナは、世界中で植物科学における基礎研究の対象である。近年、特に中高生にとっての理科が「役に立つもの」を学ぶ学問だと誤解されがちとなっている。中高生のうちに純粋な基礎研究に触れ、その意義・価値を知ることは今後の我が国の理系人材の育成に非常に有効であると期待できる。
カルシウムは植物の必須栄養素のひとつである。細胞壁合成や細胞内シグナル伝達などさまざまな生命現象に関わる元素で、古くから研究対象とされてきた。ところで、シロイヌナズナの変異体CaD428(Calcium Deficiency)は野生型Columbia-0(Col)を背景にEMS(Ethyl Methanesulfonate)によって変異を誘発された突然変異系統である。藤原徹氏(東京大学)がカルシウム(Ca)栄養に関わる遺伝学研究の材料として用いていた。その中で東京大学では扱わないこととされたいくつかの系統を、申請者へ分譲していただき、そのうちの一つCaD428がCa欠乏時に野生型と表現型に差が出ることを当時の高校生たちが突き止めた(2011年・未発表)。
CaD428は寒天培地を用いた無菌栽培において、通常のCa濃度2.00mMで生育させたときには野生型であるColと同様に生長した。一方、Ca欠乏となるCa濃度0.15mMで生育させると地上部が野生型より大きく、葉の色は野生型より緑色が濃く生長した。これはCa欠乏に耐性があると考えられ、Ca栄養の吸収・分配・利用などに関わる遺伝子が変異していると推察された。ICP-MSを用いた元素分析の結果から、生育に差が出たCa欠乏条件において地上部・地下部それぞれのCa濃度には有意差が認められなかった。すなわち、CaD428は通常であれば枯れてしまうほどの少ないCaを何らかの手段で節約して使える変異体であると考えられる。Caは細胞壁合成に必要な栄養素である。それにも関わらずCa欠乏条件下においてCaD428が野生型より成長しているのは、CaD428はいわゆる手抜き工事のような細胞壁合成をすることで低栄養状態に適した形態形成を行っているのかもしれない。この変異の原因遺伝子については候補の絞り込みが進んでいない。
CaD428はCa栄養に関する変異体として研究対象としていたが、研究の過程で実験に用いる種子を増やすために土で生育させていた際に花芽形成に遅れがあることが示唆された。人工気象器にて明期16時間、暗期8時間、22℃で生育させた場合、CaD428の花芽形成が野生型と比較して約3週間遅延することが明らかになった。これを受けて、花芽形成遅延のメカニズム解明を新規の研究テーマとした。この表現型に注目すると、野生型(Landsberg erecta(Ler))とCaD428との掛け合わせ系統F1ではすべて野生型と同様の花芽形成時期を示し、後代のF2では通常の花芽形成時期と遅咲きが3:1に分離することが示された。ここで用いた野生型LerはCaD428作出の背景となっているCol-0とほぼ同じ表現型を示す野生型でありながら、ゲノムDNAにわずかな差がある。これにより、マップベースクローニング法を利用して変異の原因遺伝子を絞り込むことができる。このF2を用いてマップベースクローニングを進め、次世代シーケンサによって解析されたゲノム配列情報と照らし合わすことで、原因遺伝子の候補が絞られた。現在、最有力な候補として考えられているのは、EARLY FLOWERING MYB PROTEIN(EFM)遺伝子のプロモーター領域の変異である。EFMは花を咲かせるために必要な遺伝子FTの上流で働く転写因子であると考えられており、欠損変異は早咲きになると報告されている。本研究とは真逆の表現型であるため、CaD428の変異は何らかの作用機序によってEFMが過剰にはたらいていると考えられる。現在、花芽形成遅延の表現型の原因がEFM遺伝子周辺の1塩基置換であることを明らかにするために、ゲノム編集技術を用いて当該1塩基変異を野生型と同じ塩基配列に戻すことを試みている(プラスミド構築の段階)。
さらにCaD428変異体は短日条件(明期8時間・暗期16時間)で生育させると、葉柄が野生型より伸長する表現型を示すことが花芽形成研究の途中で見つかった。
葉柄の伸長は避陰反応と呼ばれ、本来は葉が陰に入った際に日光を求めて伸長する現象である。この変異体ではその反応が過剰に起こっており、何らかの光応答のステップに異常があると考えられる。マップベースクローニングによって原因遺伝子の絞り込みが行われた結果、上述の花芽形成の原因遺伝子であるEFM遺伝子の可能性が強く示唆された。花芽形成も避陰反応も光応答に関わるものであり、EFM遺伝子変異がいずれの表現型にも影響を及ぼしていると考えられている。